SNSをやめた

やめたら今度は吐き出すところがなくなった。自分のためにしかならない備忘録

大人になるってこと


“海外っぽさ”を感じたくて友人とIKEAに行ってきた


ちょうど最近スウェーデン在住の方のvlogをYouTubeで見るのにハマっていて、その方が食べている物の目新しさ、風景、物の材質、空気…いろんなものが今の暮らしと違うのだろうと想像するとワクワクした。


5年前、新婚旅行でイタリアを訪れた際、初めて西洋の空気を知った。味や、気候、人、いろんなものを全部ひっくるめた意味で日本と違う空気に触れ、感激した。

その時の気持ちや五感と重ね合わせてスウェーデンというものを想像すると、物凄くワクワクした。


しかし想像では遂に物足りなくなった。

「スウェーデンっぽさを感じたいからIKEAに行きたい」と友人にLINEした。


私が牛みたいなやつで、ちょっと宇宙人なのをよく解ってくれている彼女は「いいよー」の二つ返事。



数年ぶりのIKEAはまるで景色が違った!

動画で知ったスウェーデンの文化、食事、素材、いろんなものがそこにはあった。

入口から出口までワクワクドキドキが止まらなかった!


…エルダーフラワーのドリンクがある!よく飲まれてるんだよね?

サフランパンがある!どんな味かな?

クリスマスハムが売ってる!本当に食べられているんだ…


食べ物のことばっかり。


動画を見ては想像を巡らせた味を実際に味わうことが出来るなんて最高だと思う。



数年前にIKEAへ行った時は、「北欧のちょっと小洒落たリーズナブルな家具屋だ」と認識していたので(それは別に今もそうなのだけど)それなりに楽しめたが話題性ばかりに踊らされて別段IKEAそのものの良さやスウェーデンという国の風土が産んだ商品の価値を特別なんとも思っていなかった。


けれどあの動画の中のあのスウェーデンの人々の生活が家具を、雑貨を、食品を産んでいるのだと私の中で繋がると途端に魅力的に見えた。遠く離れたスウェーデンの一端に触れていると思え、その全てが素敵だと感じた。



IKEAなんて北欧版ニトリだと言われたら仰る通りと否定しない。

誰かにとってはただの家具屋で、

誰かにとってはオシャレな空間で、

誰かにとってはニトリ上位互換かもしれない。

人によっては下位互換と仰るかもしれない。



けれども昨日の私にとっては最高にスウェーデンだった。


ほんの些細な、馬鹿馬鹿しい取るに足らないようなひとつのきっかけが学びや知識になった。

そしてワクワクをくれることを知った。そんな取るに足らない馬鹿馬鹿しさを楽しむか、楽しまないかを選択できる自由が大人そのものだ。


大人になるってことは、自由の中から選択出来ることかもしれない。


物事は多角的だから、一見自分には関わりのないような物が、別の角度から私を変えてくれるかもしれない。そんな可能性を予測する楽しさも大人になって知った。


エルダーフラワージュースはもちろん買って帰ったし、クリスマスハムも夫と切り分けながら楽しむつもりだ。





もうひとつ、巨大なクマさんを連れて帰ってきた。

大きいクマのぬいぐるみなんて連れて帰ったら夫に怒られるかな…と思いつつ、あまりの可愛さに抱きしめたくなって…


レジに並んでクマを通して貰った時、後ろの小さい男の子が恨めしそうに私とクマを交互に見てきた。こんなクマ、魅力的でしかないものね。


大胆にぬいぐるみを買ってしまえるようになったのも、大人になったということかもしれない。

夫へのクリスマスプレゼント


クリスマスも目前


夫へのプレゼントを何にしようか考えたところ、欲しいものが分からなかった。


そもそも4年付き合って結婚生活5年目。

もうあげ尽くした

こんなことを言うと熟年夫婦の先輩方に叱られそうだけど。


少し前は新しいオキュラスクエストが欲しい欲しいと言っていたが、もう欲しいと言わなくなった。


その前はApplewatchが欲しいと言っていた。多分今も欲しいのだろうけど口には出さなくなった。



夫の「欲しい」は一時の昂りである。

欲しいと思ったその瞬間から暫くは次の日にはもう何がなんでも買ってくるような、玩具を我慢できない子供のように手に入れるまで欲しいと言い続ける。

それも理屈っぽく。


新しいApplewatchは何がどう違ってどんなメリットがあってどのように生活を潤してくれるかを、自分が欲しいだけなのにもかかわらずあたかも私にもメリットがあるかのようにプレゼンテーションしてくる。


そんなに言い訳しなくても、単純に欲しいと言えばいいのに…


私が「そんなものいらない」と言ってくる予防線を張っているのだ。


彼の欲しいものは、

時には名人の打った包丁であったし、

時には自宅用懸垂機であったし、

時にはシックスパッドであったし、

時には塗装ブースであったし、


とにかく色んなものにロマンを感じては私にも恩恵があることを説明してくれた。


実際に(自分で)買ったものもあるし、ほとぼり冷めていったものもたくさんある。



だから夫へのプレゼントは悩ましい。

喜んでくれるかも?

使ってくれるかも?


そう思って選んだものもほとぼり冷めて使われなくなってしまうかもしれないから。

子どもに「みんな持っているから買って」とせがまれて買ったおもちゃが、旬が過ぎ去って忘れられてしまうように。


だったら本当に欲しいものって何だろう?



そう思った時に直ぐに思い浮かばなかった私は、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


私は夫の「欲しい欲しい」に少し辟易してしまって、いつも話半分になってしまっていたような自覚があったからだ。


2人で近所のショッピングモールに買い物に出た時も、あれこれ目移りしてはいいな欲しいなを繰り返すので聞き流してしまっていたと反省した。


本当に必要としているものって、「欲しい欲しい」と言葉で出てくるものではなくって、日々の自然な会話の中にあるはずだったのに、それが思い浮かばなかった。


思えば彼はいつも私の痒いところに手が届くようなプレゼントばかり選んでくれていた。


「え?あんななんとなく話したことだったのに覚えていたの?」とこちらが驚くような贈り物が多かった気がする。別にこれは、物自体に嬉しさを感じているとか、価値があると思っているわけではなくって、私が夫からの贈り物なら手紙だろうが何だろうが無条件に嬉しいと感じるため、もしかすると理解できない人もいるのかもしれない。


それは彼にとっても同じで、自分が夫の欲しいものが浮かばなかったとしても、夫へ贈るものに気持ちがあればお互い何も問題はないのだ。むしろ負い目に感じながらプレゼントを贈る方が相手に失礼と思ってしまう。


でも「あ!あれ必要としてた」って物がすぐにピンと来なくて、一晩考えを巡らせることになった自分に少しがっかりした。いつだって夫の方が私のことを考えてくれていたように思う。




そして今朝、午後から雨になる予報

夫が雨の日に履ける靴が無いと一緒に靴屋に見に行ったことを思い出した。結局その場では買わなかったので、いつも雨の日は足元を濡らして帰ってくる。


一時の昂りで欲しいものではなく、

本当に必要そうな物って案外難しいし、財布や高級時計や世のクリスマスプレゼントの代表格に比べれば、地味かもしれない。飾り気がないかもしれないし特別じゃないかもしれない。



それでもいい、と思うのは私の自己満足だけど。


思い出せたことにホッとしたところで、お腹が空いてきた。

SNSをやめて1週間


辞めてから物欲が減った


…多分誰かの購入品を見ることもなくなったし、オシャレなディナーの写真を見ることも、どこのクリスマスコフレを買ったかも見ることがなくなったからだ。欲しくて魅力的な必要のないものの広告も目に入ることがなくなったからだと思う。なんであんなに毎日他人のものが羨ましかったんだろう。


辞めてから本を読む時間が増えた


…移動時間ついついTwitterを開くことがなくなったから。もうついついスマホの画面を点けてアプリを開きそうになって「あ、消したんだった」となる癖もなくなった。


辞めてから他人がどうでも良くなった


…誤解を招く言い方かもしれないけど自分の力の及ばないような、どうもしようのない他人の悩みや愚痴にいちいち考えを巡らせたりすることがなくなった分本当に大切にしたい人の悩みだけを聞き取れるように頭のスペースが整理されたようなかんじ。



辞めてからコーヒーが趣味になった


…ずっとTwitterを見たりリプを飛ばしながら適当に入れたコーヒーよりも、丁寧にハンドドリップしたコーヒーは素人でも分かるぐらい味が美味しく激変することを知ってしまった。豆を挽くのも楽しいし、音を聞くのも楽しい。手に伝わってくるゴリゴリも気持ちいい。モコモコと盛り上がってくるのもおもしろい。



辞めてから自分で自分を褒めるようになった


…掃除した報告、何を食べたかの報告、どこに行ったかの報告、誰かと会った報告。自分は報告してた。報告は誰かに対して行うもので反応を得るものだ。呟きではない。私は呟いてなかった。報告していたのだ。好意的な反応が欲しかった自分を捨てて、本当の意味で自分を自己満足できるようになり始めた気がする。



辞めてから数日間は、夕食後のリラックスタイムに夫が目の前でスマホゲームをしている時、ふと暇でTwitterを開きたくなったりした。(もう消していたからひらけないのだけど)手持ち無沙汰で、ぼーっと何もしない(できない?)時もあった。

やっぱり再インストールしようか…

ふと思ったりもした。

ドラクエのリセマラに夢中の夫は話半分だから。


でもそこでまた、ふと思った。

Twitterあっても暇やん、と。


そうしたら、インストールしたい気持ちがびっくりするほどあっさり無くなった。人気の無い荒廃した団地街を歩いてガランとした気持ちになるぐらい不気味なほどスッキリあっさりした。



夫がゲームをしている間、私もゲームをすることにした。

大好きだったはずのゲームが大人になってからなぜ出来なくなったんだろう?と思っていたけれど、SNSが時間を食ってしまっていただけだった。


お互いゲームのキリが良くなれば自然発生的に会話が弾むのだから夫婦は不思議。


「私Twitterやめてん」


「そうか」


「報告したかっただけ」


「うん」


夫の「そうか」には「yakoがそれでいいならいいんでしょうね」が含まれてるのを知ってるので、私はこれで納得出来る。


辞めてから夫婦関係に特に変化はないけど、私の心持ちは良い方に変わったかも?