アウトプット
「アウトプットした方がいいんじゃない?」
というのは、友人の言葉。
私は自分を牛みたいなやつと思っていて、1回食べたものを反芻するみたいに考えてることを出しては飲み込み、飲み込んでは出し、自分の中でだけぐるぐるぐるぐる思考するからだ。
何でもいいから思ったことはアウトプットする方がyakoにはいいよと言われ、更にはその友人の「ブログでもすれば?」の一言で今これを書いている。
ブログはこれまでも何度かやったことがあった。
ミニマリストだからミニマリストになる為の何かを書かないとと思ったこともある。
映画好きだから観た映画の感想を毎日書こうとしたこともある。
植物が好きだから育成記録を残そうとしたこともある。
でも全部続かなかった。消してしまったブログはまだ良い方で、書かなくなったそのうちにログインの仕方さえ分からなくなってネットの海の底に沈んだままのブログもある。
だから、このブログも続かないかも。
始めたら面倒くさくなるかも。そう思いながらも始めたのはTwitterを辞めたからだ。
若い頃は規制垢なんか作ってチャット化するほどTwitterヘビーユーザーだった。
そこで出来た繋がりは夫よりも長く太い。
それをパタッと止めたのは誰かの生活の中から離れたかったから。Twitterは10年来の付き合いのくせ顔の見えない学校みたいにみんなが生活していたところだったから。
そんなTwitterをやめたら、アウトプットするところがなくなった。
アウトプットした方がいいというアドバイスに心から同意したにもかかわらず、自らその場を断ち切った。
他人の反応に一喜一憂している自分はいわゆるSNS疲れだったのだろう。
以前と少し違うのは、もうブログは毎日1回だけ書くものだなんて思っていないし、必ず毎日更新しなければならない物でもないし、読者が欲しいとか閲覧数を伸ばしたいとか、綺麗事を書かなければいけないとか、誰かの為になる記事を書かなくちゃいけないとか、そんなことは考えなくて良くなったところだ。私がアップデートされたのだ。そう思えるようになったのは「アウトプットすれば?」と言ってくれた友人のお陰でもある。
それに思い立ったなら一日に何回書いたっていいわけだ。これは自分が自分のために自分の思ったことをアウトプットするブログだから。
誰にも迷惑をかけず、10年来繋がってきたSNSの友人たちに「また牛が1人で何かごちゃごちゃ言ってるよ」と思われているかも、と被害妄想せずに済む。
そう思うとブログが続きそうな気がする。
続けるという行為が毎日でないと適用されないなんて決まりはないし。
やっぱり昼間に外を歩くとヒートテックが火を噴いて上着を脱いだ。
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