夫へのクリスマスプレゼント
クリスマスも目前
夫へのプレゼントを何にしようか考えたところ、欲しいものが分からなかった。
そもそも4年付き合って結婚生活5年目。
もうあげ尽くした
こんなことを言うと熟年夫婦の先輩方に叱られそうだけど。
少し前は新しいオキュラスクエストが欲しい欲しいと言っていたが、もう欲しいと言わなくなった。
その前はApplewatchが欲しいと言っていた。多分今も欲しいのだろうけど口には出さなくなった。
夫の「欲しい」は一時の昂りである。
欲しいと思ったその瞬間から暫くは次の日にはもう何がなんでも買ってくるような、玩具を我慢できない子供のように手に入れるまで欲しいと言い続ける。
それも理屈っぽく。
新しいApplewatchは何がどう違ってどんなメリットがあってどのように生活を潤してくれるかを、自分が欲しいだけなのにもかかわらずあたかも私にもメリットがあるかのようにプレゼンテーションしてくる。
そんなに言い訳しなくても、単純に欲しいと言えばいいのに…
私が「そんなものいらない」と言ってくる予防線を張っているのだ。
彼の欲しいものは、
時には名人の打った包丁であったし、
時には自宅用懸垂機であったし、
時にはシックスパッドであったし、
時には塗装ブースであったし、
とにかく色んなものにロマンを感じては私にも恩恵があることを説明してくれた。
実際に(自分で)買ったものもあるし、ほとぼり冷めていったものもたくさんある。
だから夫へのプレゼントは悩ましい。
喜んでくれるかも?
使ってくれるかも?
そう思って選んだものもほとぼり冷めて使われなくなってしまうかもしれないから。
子どもに「みんな持っているから買って」とせがまれて買ったおもちゃが、旬が過ぎ去って忘れられてしまうように。
だったら本当に欲しいものって何だろう?
そう思った時に直ぐに思い浮かばなかった私は、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
私は夫の「欲しい欲しい」に少し辟易してしまって、いつも話半分になってしまっていたような自覚があったからだ。
2人で近所のショッピングモールに買い物に出た時も、あれこれ目移りしてはいいな欲しいなを繰り返すので聞き流してしまっていたと反省した。
本当に必要としているものって、「欲しい欲しい」と言葉で出てくるものではなくって、日々の自然な会話の中にあるはずだったのに、それが思い浮かばなかった。
思えば彼はいつも私の痒いところに手が届くようなプレゼントばかり選んでくれていた。
「え?あんななんとなく話したことだったのに覚えていたの?」とこちらが驚くような贈り物が多かった気がする。別にこれは、物自体に嬉しさを感じているとか、価値があると思っているわけではなくって、私が夫からの贈り物なら手紙だろうが何だろうが無条件に嬉しいと感じるため、もしかすると理解できない人もいるのかもしれない。
それは彼にとっても同じで、自分が夫の欲しいものが浮かばなかったとしても、夫へ贈るものに気持ちがあればお互い何も問題はないのだ。むしろ負い目に感じながらプレゼントを贈る方が相手に失礼と思ってしまう。
でも「あ!あれ必要としてた」って物がすぐにピンと来なくて、一晩考えを巡らせることになった自分に少しがっかりした。いつだって夫の方が私のことを考えてくれていたように思う。
そして今朝、午後から雨になる予報
夫が雨の日に履ける靴が無いと一緒に靴屋に見に行ったことを思い出した。結局その場では買わなかったので、いつも雨の日は足元を濡らして帰ってくる。
一時の昂りで欲しいものではなく、
本当に必要そうな物って案外難しいし、財布や高級時計や世のクリスマスプレゼントの代表格に比べれば、地味かもしれない。飾り気がないかもしれないし特別じゃないかもしれない。
それでもいい、と思うのは私の自己満足だけど。
思い出せたことにホッとしたところで、お腹が空いてきた。
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